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モンスターペアレント訴訟、教育現場の混沌、みんな気持ちに余裕がなくなっているんだよ。 [日記・エッセイ・コラム]

 

”モンスターペアレント”に反旗を翻す教師たち

前代未聞の訴訟で議論が紛糾する教育現場の混沌 

 http://diamond.jp/articles/-/11369

(会員でないと読めない部分があります)

 

前半部分を読んでいると何かとても寂しい。でもこれが現実なのだが。

後半部分のここは大いに納得。


「マスコミに対して憤りを感じている」と話すのは、都内の中学校に勤める30代の男性教師。この他にも、多くの教師からマスコミの報道に対して疑問の声が上がった。

 「いじめ問題にしても、モンスターペアレント問題にしても、面白おかしく取り上げているとしか思えない」(前出のBさん)

 「良い関係を築いている教師と保護者のケースもたくさんあるが、それをマスコミが取り上げることはない。学校に対する不信感を煽っているのは、マスコミではないかと感じる」(前出のC校長)

 教師側の声ほど強くはないが、保護者の立場からも似た意見が聞かれた。

 「モンスターペアレントについては、極端な例だけが報道されることがある。それを見た保護者の中には、『あのくらい言う人もいるのだから、自分も大丈夫』と考える人もいるのではないか」(前出・千葉県の母親)

 「息子が小学校で友達とけんかをしたとき、子ども同士も担任も『けんか』と言っていたのに、相手の保護者は執拗に『一方的ないじめ』と主張した。何を言っても、『今の教育現場にはいじめがある』の一点張り。テレビの見過ぎではと感じた」(東京都内の小学校に子どもを通わせる母親)

  


 

お互いに大変だけれども何とか、歩み寄ったり、理解し合おうと努力しながら頑張っている教育現場の方が多いだろう。そうでなければ子どもたちの笑顔はみられない。

表面部分をとりあげるだけで、判断するような記事が多すぎるし、「誰かが悪い」はい、それで決まり!っていうような言い方もウンザリする。

犯罪にしろ、カンニングにしろ、先生に執拗に文句を言うにしろ、その裏にはいろいろ複雑な事情が絡んでいるはずだ。表面だけの行動を見れば確かにその人が悪いようにに見える。けれどそこに至るまでの事情はいろいろあるはずだ。

そういうその人の苦しさを理解してあげない社会、これが今、生きづらい社会になっている原因であろう。その人が何らかの強烈な行動に及ぶ前に周囲がその人の心の苦しみや不安を受け止めてあげていたなら、全然違った結果になっていたはず。 

そういう心のゆとり、相手の気持ちを思いやる心遣い、それをなくしてしまった人達が多いのだろうね。でもそれはかなり多くの人たちが苦しんでいるということでもあるのだけど。

 

 で、どうすればいいか・・・

思うに、自分がやりたくないことはやらなくていいと[わーい(嬉しい顔)]

どうしてもやらなければならないことは適当に手と気を抜けばいいかと・・

そうしてできたゆとりを自分がしたいことをする時間に使う。疲れきっていればゴロ寝、フテ寝、パジャマで一日過ごすとか・(はは)

休んで休んでカビが生えるくらいに休んだら、前向きになれると思うよ、きっと[わーい(嬉しい顔)]

 

 

過去記事

モンスターペアレントという言葉の弊害

 

( 「モンスターペアレント」 「モンスター患者」 この言葉は例の広告代理店の造語、もしくは喧伝かもしれないですね。その心は、日本人同士の信頼関係を破壊する 教育現場(人格形成の場)を破壊する です。現在は大学も破壊中ですか?)

 

 


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