バランスと勇気 [日記・エッセイ・コラム]
サッカー大好き人間でも詳しくもないが、日本代表チームに就任したザッケローニ監督の好きな言葉は「バランスと勇気」だそうだ。たまたま聞き流していたTVで耳に飛び込んできた。たしかNHKだと思う。
この頃のNHKにはウンザリだが、たまにはいいこと伝えてくれんジャン!
どんな相手にも立ち向かう、リスクを恐れない、そして自分のことよりもチーム全体のことを考える・・・そんな言葉が耳に飛び込んできた。
ヨーロッパのイタリアという国で全く違う人生を歩んでいる人が、私の好きな言葉をを発信している・・・
サッカーをはじめスポーツは今は観戦するだけの立場だけど、何事にも共通するものはあると思う。
私はいわゆる陰謀論的(本当におこっていること)なことをブログやHPで書いている。でもそれは、今まで悪事を働いてきた人達のことを罰したり、問い詰めたりしたいためじゃない。はっきり言ってそういう人たちの一人ひとりの名前・プロフィールなんてほとんどどうでもいい。ただ、どういうことがこの世で起こっているか知るために必要になってくる場合、そういう人たちの名や固有名詞を出すこともある。
また、おおよそ自分自身が悪いことをしようとも思っていなくても、知識がないために大きな悪事に加担してしまうことだってある。大きなところでは9・11。CIAの自作自演なのにアルカイダをやっつけろなんて言って、イスラム世界を敵視したりした。
陰謀を隠れて実行する人間と知らずに乗っかってしまう人間、どちらが罪が重くてどちらか軽いというのだろう。結局、ドングリの背比べ、スープとシチューの違いくらいなんじゃないのか?
たとえば振り込め詐欺、騙されなければ、詐欺できないだろう。騙すのは悪い。でも簡単に騙されてしまった自分というものを反省することも必要じゃないだろうか?
でも、いろいろなことに疑心暗鬼になりすぎても、人生はものすごくつまらないものになってしまうだろう。
バランスと勇気、実にいい響きである。
騙されてしまったらそれはいい勉強だ。次は騙されないようにすればいい。
そしてできたら、人を騙す人間、騙すことでしか生きられない人間に、あわれみ・慈悲・許し・・・そんな感情が抱けたら人間としてすごく成長できたと言えるんじゃないだろうか?
スポーツは、相手の反則やファウル、不公平なジャッジを問い詰めるのが目的じゃない。どうでもいいことでもないけど、それは選手たちがスポーツする目的じゃない。
自分自身を高め、それを実現できたらそれで満足できるのじゃないか?
結果もついてきたら、もちろんうれしいんだろうけど、結局、最終的な相手は自分で、その自分を乗り越えながら成長できたらそれでいいんじゃなかろーか。