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大雪山遭難事件に思うこと(2) 働くものの誇り [日記・エッセイ・コラム]

トムラウシ遭難事件が気になっている。

Sub Eight こちらのサイトで大変充実した詳しい情報が提供されている。

事件を考える上で大変参考になった。
また、常に中立であろうとし、悪もの探しでなく、詳しく検証したうえで今後の教訓に生かしていくという姿勢に非常に好感を感じる。

こちらの記事も参考にした。
ツアー体験についても書かれていて参考になる。
★MINMINの麗しき山旅★~ときどき日記~
トムラウシ山の大量遭難に想う



様々な要因が絡んでおり、どのように整理して考えるか悩んでしまう。
ここではガイドのおかれた状況について考えることにする。

もっと詳細な状況についてはまたわかってくるだろうが、とりあえず今ある情報だけで推察する。
私自身、低山歩き程度の知識しかなく、登山ツアー等経験したことがないので甚だ独断的私見にすぎない。
それでも旭岳には登ったことがあり、何か書かずにはいられない気持なので・・・



13日 飛行機にて北海道へ。 旭岳温泉泊

14日 ロープウエイ経由、旭岳(大雪山:日本百名山)白雲岳避難小屋まで

15日 ヒサゴ沼避難小屋まで

16日 トムラウシ山(日本百名山)を経てトムラウシ温泉へ下山、

17日 その後飛行機にて関西などへ帰宅。

ツアー代金は約15万円

・32歳  メインガイド (北海道在住、アミューズトラベルの正社員)

・38歳  サブガイド (このコースは初めて。)

・60歳  ツアー添乗員  死亡 (このコースは初めて)

・その他、ヒサゴ沼避難小屋付近まで同行したネパール人シェルパ1名



http://minminsroom.cocolog-nifty.com/webdiary/2009/08/post-a522.html
から引用させていただきました。

ガイドのメインとサブ、ツアー添乗員という名称は上記のサイトの便宜上運営者様が書いたとのこと。正式のものではありません。


私がまず、ネットでいろいろ調べていて驚いたことは、14日(初日)から体調不調者がいたことである。
一人の女性が途中吐いたりしていたらしい。
この時に危険信号が既に灯っていたのではないだろうか?
15日も同じく不調だったようだ。
2日間吐いたりしていれば当然、体力はかなり落ちている。
これは山ではなく平地でも同じことであろう。
まして高山、気候、年齢などを加味すれば極限に近いかもしれない。
この方は、16日の朝、出発に反対したらしい・・・がなだめすかされたようだ。

(これには、私自身忘れていた苦い思い出がある。小学生の頃からガールスカウトに参加し、野外活動はかなり経験してきた。中2の夏ごろだったと思う。ボーイスカウトとの合同ナイトハイクで丹沢に行くことになっていた。行く前に私は下痢になり、母親と参加する・しないで揉めた。私はその時の自分としてはかなり強硬に「行けば迷惑をかけることになるから行かない。」と母に行ったが、予定があるのに体調を崩したのは自分が悪い、決まっていたことだから参加しなさい!という母の強い主張(?)に押し切られて行くことになった。やはり腹に力が入らない私は途中歩けなくなった。冷や汗・・・
しかし、幸いなことはスタッフが豊富だったこと。悪天候ではなかったこと。私の所属する団は通っていたキリスト教会に属しており、ボーイスカウトも普段から顔見知り、ほとんど全員が気心の知れた仲間であり、リーダー達も親しみのある先輩のような存在だった。そんななかでリーダーは私の面倒を一人の経験と体力のあるボーイスカウト(たぶん大学生か高3位)に任せた。彼はとても親切に面倒を見てくれ、若かった私は板チョコレートを一枚平らげてその後も無事山頂に登頂し、最後まで歩くことができた。)


こんな話は、北海道の大雪山系に比較することもできない単なる自分の苦い思い出なのだが、過去の私は周囲の環境のおかげで何とか事なきを得た。

人間は人工的環境にならされて動物的直観を軽視すぎるのではないだろうか?
女という生き物は子どもを産む分、少しだけ男よりは生命に対する直観を働かせることができるかもしれない。

それではこの体調不良の女性がツアー全体に負担をかけてしまったのだろうか?
ツアー全体かどうかは分からないが、ガイドにとっての負担は確かに重くなっただろう。
しかし、登山ツアーであろうと普通の旅行であろうと何らかの突発事項は必ずと言っていいほど発生するものである。
それも含めて全てのことにどう対応するかがガイドの力量であり、ガイドをやるほうにしてみれば醍醐味ではないだろうか?
また、突発事項に対しての対策はツアー計画自体に本来含まれているべきであろう。

16日、ガイドの判断がこの女性をヒサゴ避難小屋に残せば、無事にツアーは終了しただろうか?
また、トムラウシに登らず、エスケープルートを通れば無事に全員が下山しただろうか?
それは、仮定の話なので神のみぞ知ることだろう。

これ以外にも、ガイドの判断が適正であったのか疑問に思うことは多々あるが、同時にガイドに負担がかかり過ぎていたのではないか?とも思うのである。

体調不良者がいる。
二人のガイドはこのコースは未体験。
悪天候、15日も一日、雨に打たれての行動。
山小屋は本州のように乾燥室があり食べ物が提供される至れり尽くせりではない。
16日遭難した日はシェルパが小屋に残ったために3名体制になる。
さらにツアー遂行の点からは、宿、バス、飛行機に間に合わせなければならない。

この全部を統括していたのはおそらく32歳のガイドであるが、力量をはるかに超えていたのではないだろうか?
また、仕事を無事に遂行するだけの権限や決定権を持たされていたのだろうか?


ガイドや自然を守るレンジャー等に対する社会的評価は欧米に比べると日本は低いと思われる。
欧米では評価も高く、それなりのツアー参加者に対する決定権も持っているようだ。
でもそれは、美しいけれど厳しい自然のの中で顧客の命を守るのであるから、当然のことである。
そうあってこそ、ガイドという仕事に誇りを持って働けるだろう。


私は、「命を守る」そういう仕事にも効率や成果が一方的に求められることに20年以上も前から危機感を抱いていた。
障害児教育や福祉の現場にいたからであり、あのような労働環境では到底仕事を続けることはできなかった。


現在は良くなるどころかさらに悪化し、医療、教育、介護などの福祉等の現場の職員は過重労働に喘いでいる。
命と命をを扱う現場で働く人々の権利が効率という名の金によって売り買いされている。
全体の雇用状況が悪化したために、末端部分は誰かが辞めてもまた誰かが補充されるという悪循環を生んでいる。
それは働く人、サービスを受ける人双方に深刻な打撃を与えている。
その他の業種や会社でも本当に人間らしく、働くことに誇りを持って働いている人は、全体の中でどのくらいいるだろうか?
主婦といえども、毎日子どもやお年寄りの命を預かりながら、家族全員の暮らしを支えている。
地域、学校など無給の仕事をしている人もいる。
そのことに誇りを持てているだろうか?
そういう生き方に誇りを持て、尊重される社会になっているだろうか?

トムラウシ遭難事件が単なる「ガイドの判断の誤り」とか「ツアー客の自覚のなさ」という結論にはなって欲しくない。
何故、ガイドが判断を誤ったのか?
何故、ツアー客が北海道の山の厳しさを事前に知り、気持ちやその他準備をすることができなかったのか?
何故、会社は強行軍に近い日程を組むのか?

そこまで、掘り下げて考えることが必要だと思う。


ガイドが誇りを持って仕事をし、ツアー客が自然の厳しさを理解しながらも自然に学び、楽しみ、旅行会社が良質のツアーを提供できるようになること、これは一部の人しか利益を受けないことではない。

直接関係なくても、「誇りを持って働く環境をつくる」そのような視点で見るなら全てはつながっているはずだ。

働く人、学ぶ人、楽しむ人、創造する人、いろいろな立場の人が誇りと自覚をもって毎日を生きる事ができるようになるために何をするべきか?


誰かを悪者にして単純におしまいにするのは、それこそ、低体温症になって思考が働かなくなってしまうこと同じではないだろうか?

対立することより、共通の問題点を見つけて協力するほうが前進できると思うのですが・・・


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