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オリンピックで二重三重に傷ついている中国の国民が見える。 [日記・エッセイ・コラム]

北京オリンピックの開会式の嘘にどうやら一番傷つき、憤慨しているのは中国国民のようだ。

 9歳の女の子が歌ったのは「歌唱祖国」が口パクだったことに対してネットに失望と非難が溢れたそうだ。「失望した。許せない!」「政府は我々の心を裏切っただけでなく、全世界を騙すことによって、この聖なる開会式を汚したのだ。我々中華民族の誇りを汚したのだ。」「国家の利益のために少女の純粋さまで利用しようとするのか?」「こういうことをすることこそが、中国国家の利益を損なうということさえ分からないほど、政府はボンクラか?」等など・・・・これに対して中国政府は政府を非難した記事や書き込みを削除したということ。

また、開会式会場に向かう足型の花火がCG画像であったということに対しても「中国は国家ぐるみの偽造大国になったことを世界に知らしめた」と非難する記事や書き込みが目立ったそうだ。こちらも政府により、削除されたり、アクセスできないようにされたそうだ。

56の民族の子供たちがすべて漢民族の子供たちが、各民族の民族衣装を着ただけにすぎなかったことについては中国国内では非難の声はあまり起きていないそうだ。56の民族のうち漢民族が約9割で、のこり一割が55種類の少数民族で占められている。ネットユーザーのほとんどが漢民族であると考えられるので、漢民族の主導の演出に対してネット上で文句を言うものは多くはないだろうということである。一部見られるものには、漢民族に対する不満がつづられており、漢民族主導により、「あたかも少数民族と団結している」という演出をしているに過ぎないという意見があったようだ。

開幕式の「まやかし」が傷つけたものhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080818/168145/

(日経Onlineに登録していないと読めないページがあるかもしれません。)

また、この筆者は

マイクを向けられたら本当のことは言わない」という処世術は、中国庶民の骨の髄まで染み付いており、政府にとって耳触りのよい答えしか戻ってこない。庶民の真情をキャッチするには、庶民の中に溶け込んで感じ取るか、ネット言論にアクセスするしかないのである。マイクを向けられた時に抑制し粉飾する分だけ、ネット言論は激しさを加速させている。

とも書いている。開催国当事者ではないので、冷静さ(冷めた目)で眺めていたが、このような記事を見ると中国国民の傷の深さをかいま見るような気がする。

陸上男子110メートル障害のアテネ5輪金メダリスト劉翔が1次予選を棄権したことにどうしてこんなに激しく非難するのかよく分からなかったが、背景にはそのセレブな生活や高収入があるらしい。

 http://news.goo.ne.jp/article/sankei/sports/e20080819012.html?C=S

中国は実に様々な歴史を歩んできた。もちろん日本もいろいろな形で関わってきた。というより、日本という国の誕生そのものが、アジアの文明の流れの中であったことだ。しかし、友好という良い思い出もあるが、互いに傷つけあってきた歴史もある。その歴史を前向きにきちんと検証しようとする姿勢は、なかなか大きな流れにはならない。確かにそこに感情的な一方的態度、利害関係がもつれこんでくれば泥沼だ。

非を認めるべきところは認める。できるだけ公正な目で互いを見る。許しあう。ということはどんな場面においても非常に勇気がいることであるし、困難も大きい。しかし、いつまでもそれらのことから逃げていると漁夫の利を漁るものたちに骨の髄までしゃぶられてしまうだろう。

 

 

 

 


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